英語のレッスンは末尾に掲載しています。
ウィル・スミスさん主演の「素晴らしきかな、人生。」を観て大号泣したので【ネタバレ無し&有り】に分けてレビューします。
実は途中、キーとなる友人たちの会話や考え方の中に「う~ん?」と思う場面も多々あったのですが、美化され過ぎていない生身の人間の心理が反映されていると思うと納得。
そしてなによりも、ウィル・スミス様の演技力にほんとやられました。
これは「究極の夫婦愛」を描いた物語だと思いました。
熱くなって書いたネタバレ有りのレビューでは、本編を観ずに全容が分かってしまうほどに(笑)
見終わっても「すっきりしない気持ち」がもしも残る方は、私なりの解釈を交えて本編を紐解いた「ネタバレレビュー」を是非読んでみてください。
Storyline(あらすじ)
ニューヨークの広告代理店で成功を収めていたハワード(ウィル・スミス)。しかし彼は最愛の人を失い、深い喪失感に見舞われ、プライベートも仕事もやる気なし。会社も危ない。同僚たち(ケイト・ウィンスレット、エドワード・ノートン、マイケル・ペーニャ)もそんなハワードと会社を心配していた。そんなある日、人生ドン底のハワードの前に3人の奇妙な舞台俳優(キーラ・ナイトレイ、ヘレン・ミレン他)が突然現れた。不可思議な言動をハワードに投げかける年代も性別も異なる3人。しかし、その出会いによってハワードに徐々に変化が。 - For more information : Wikipedia
Spoiler-free review(ネタバレなし)
結論、最高の映画です。でもこれは何度も繰り返し観ることでより感動が増します。
私は号泣した映画だったのですが、レビューを見ると酷評が多いですね。
実際、興行収入は奮わず、ウィル・スミス主演作品としては最低の記録だったそうです。
本編は豪華キャストに加えて、映画『プラダを着た悪魔』(2006年)やドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』(2001~2003年)といった大大大ヒット作を手掛けてきたデイビッド・フランケル氏が監督ということで期待値が相当高かったこともあり、なおさらそのギャップ?が露呈してしまった模様。
個人的には何度でも見たいくらい好きな映画なんですけどね。
(そして実際に4回くらい観てしまいました。)
観直す度にどんどんこの映画の深さがわかってくるんです。
たしかに、道徳的にハラハラするような登場人物たちの言動に、視聴者が価値観のずれ?を感じざるを得ない場面が多々あり、それが酷評に直結しているのでしょう。
でもそれは映画内で本人たちも葛藤している部分なので、見方を変えるとそれもひとつ味ではあるのですが。
そして私自身、初めて観た時に、深そう・・・で深くない(笑)が何回かあり・・・
今まさに盛り上がっているロシアW杯で例えるなら、可憐に蹴り放ったきれいなシュートが決まるかー!
・・・バーに当たって跳ね返ったー!の繰り返し。
次こそはネットど真ん中にボールが投げ込まれるのを前のめりに期待しながら見続けるけどやっぱり入らない。
そんな感じでしたね。
でも安心してください。
後半戦のロスタイム「もう勝敗は見えたな」とほぼ確信を持ったところで、ドストライクが決まります。
「まじか!」
すべてが繋がった瞬間に感極まりました。
これ以上いくとネタバレしそうになるのでこの辺で我慢します。
私の本気のレビューはこのあとのSpoiler review(ネタバレあり)をご覧ください。
ちなみに、これは似た経験(=愛する人を失った経験もしくは夫婦で想像を絶する苦難を乗り越えた経験)がある人には、理屈なく響く物語だと思います。
そして私もその一人、突然の事故で大切な家族を失った経験をしていたからこそ、人の数倍感情移入できたのかもしれません。
素晴らしきかな、人生(字幕版)
Spoiler review(ネタバレあり)
「愛」「時間」「死」という三大概念を擬人化させたストーリー設定
「愛」「時間」「死」という人の生と密接に関わる概念を擬人化することで、その究極の概念と会話ができる。
このストーリー設定(アイデア)は本当に面白いと思いました。
愛娘を亡くし、絶望のどん底から這い上がれないでいるハワード(ウィル・スミス)は、「愛」「時間」「死」というそれぞれの概念宛に手紙を書きなぐっていました。
それを知った(友人でもある)会社の同僚たちがある作戦を企てます。
それが、「愛」「時間」「死」をそれぞれ俳優に演じさせ、ハワードと会話してもらおうという猟奇的にも取れるアイデアでした。
心を閉ざし、かつての親友とさえ口をきかないハワードを救うための苦肉の策でもあったのです。
しかしこの作戦は、純粋に彼ら同僚の友情だけが動機づけされたものではなく、"会社存続" や "お金" など彼らの経済的な動機も大いに孕むものでした。
そのうえ、ハワードが概念と会話しているところの証拠を残し、第三者に対して彼を精神異常者に仕立てるというなんともえげつない作戦です。
なぜこの3つの概念なのか
広告代理店の経営者であるハワードは、まだ活気に溢れていたころ、全社員に向かって「人生は人とのつながりがすべて」と話します。
そして、「愛」「時間」「死」この3つが地球上のすべての人をつなげる要素であると。
そして誰もが、愛を渇望し、時間を惜しみ、死を恐れるのだ、と。
そんなハワードのスピーチでこの映画は幕を開けますが、なんとも皮肉なことに、その後まもなくしてハワードに愛娘の「死」が訪れます。
最後には、「死」は人と人を別つものではなく、ハワードが自分で説いたように、死もまた人をつなげる要素でもあることに気づかされますが、それまでの道のりはとても辛く悲しいものです。
すっかり生気を失ったハワードは心を閉ざし、オフィスの一角でドミノを積み上げては倒すを繰り返します。
これに対しては「経営者なのにあり得ない」「現実的じゃない」「確かにつらいと思うけどみんな仕事は頑張るもの」「同情できない」そんなレビューが多くありました。
でも思い出してください。ハワードは言葉がすべての広告代理店の経営者であり、「人とのつながり」そしてその源となる「愛」「時間」「死」という概念を誰よりも大切にしていました。
だからこそ、その3つの概念すべてを憎しみ嫌うことで本当に人とのつながりを持てなくなってしまったという言葉にならない深い苦しみを表しているのだと思います。
ドミノが意味するもの
またドミノ倒しがこの映画での重要なメタファーである気がします。
ドミノが意味するものの捉え方は人それぞれだと思いますが、私は次のように解釈しました。
ドミノって倒すために積み上げますよね。
それってすごく皮肉じゃないですか?
「ドミノが倒れていく」のを死と例えるならば、死に向かって愛なく無心に時間を浪費しているのです。
たった一人、時には5日間をかけて完成させたドミノを倒すという、愛を渇望せず、時間を惜しまず、死を恐れないハワードのこの行為は、あえて3つの概念に対して憤りと怒りを当てつけているように見えました。
そして、ドミノが倒れていくのを決して見届けないところに、死は必ず訪れるものであることを知りながらも向き合うことができないハワードの深い悲しみが表れているように感じました。
同僚、それぞれの葛藤
そして、親友でもある同僚3人による例のえげつない作戦が始まります。
とはいっても、これまでの2年間にわたり、あらゆる方法を試してきたことが冒頭の同僚たちとの会話から読み取れますよね。
もともとは純粋な友情が原動力だったはずです。
でも報われることはないまま、ついに会社が危機を迎えることになる。
後になってわかることですが、生まれて間もない息子を抱いていた同僚サイモン(マイケル・ぺーニャ)には、自分にこそ「死」へのカウントダウンが始まっていたのです。
愛する家族を残すことへの計り知れない悲しみと不安と恐怖。
絶対に会社を救い家族を守らないといけない使命感がそこにはあったはずです。
一方で、エドワード・ノートン演じるホイットの動機は常に俗世的で純ではないように見えてしまうのですが…
しかし、ホイットの言動を問題視するのは簡単ですが、実際に行動に起こすというのは大きな責任が伴いますし、かなり勇気がいることだと思います。
実際、この狂気ともとれる作戦がこのあと関わる全ての人を動かすきっかけになるのです。
同僚のクレア(ケイト・ウィンスレット)が初めてホイットのアイデアを聞き、ホイットに友情との天秤を突き付ける場面で彼はこう返しています。
"It's not that he won't sell. It's that he won't even have a conversation about selling.I try to talk to him, I try to reach him, and it's like I'm not even in the same physical space with him. He's not there."
"仕事をしない(渦中の話題である会社売却をしない)ことが問題なんじゃない。仕事の話(その売却話)すらしないことが問題なんだ。彼に話しかけてもなんとか届こうとしても、同じ空間に僕は存在すらしていないかのよう。まるで彼はそこにいないんだよ!"
ハワードはかつて成功を収めた凄腕のビジネスマンですよね。
親友であり共同設立者のホイットは誰よりも、仕事に情熱を注ぐハワードを近くで見てきたことでしょう。
お金が必要なのも事実ですが、かつての活気ある親友を失ったホイットにとっては、どうにかして今の状況にメスを入れる必要があったのです。
それでも「このやり方はやっぱり間違っている」と道徳的な葛藤をし続けるクレアの存在が、なんとか最後まで観る人の味方をしてくれていたのではないでしょうか。
そういう意味では、この立場の違う3人の同僚たちは、綱渡りをしている時のような絶妙なバランス感だったと思います。
先ほど深そう・・・で深くないなんていう大変失礼な酷評をしてしまいましたが、言葉を大切にしている広告代理店が舞台なうえに概念の擬人化という面白すぎる設定だからこそ、パンチの効いたキャッチがもう少し欲しかったなという惜しさが一番最初に観た時にあったからです。(2度観た時に深さに気づきましたが…)
また、この作戦は3人の同僚それぞれの人生にも影響を与えますよね。
でもその展開がすこ~し強引に感じてしまった部分がいくつかあったので、もっとあっと言わせるような気づきと驚きを欲してしまいました。
言葉を変えると、概念の擬人化を生かしきれてないような感覚を覚えてしまったのです。(これもまた2度観た時には結構しっくりきましたが…)
マデリンの登場と、名キャッチ「幸せのおまけ」
そんな中、子どもを亡くした親のためのセラピーグループでリーダー的役割を務めているマデリン(ナオミ・ハリス)が登場します。
ハワードとマデリンの会話はどれも奥深く、一言も聞き逃したくなくて聞き入ってしまいました。
そしてマデリンの口からついに出ましたよね、本編最初にして最後の名キャッチ "幸せのおまけ"。
これこそが英語タイトルであるCollateral Beauty。
背景や脈絡が分からないと伝わらないとは思いますが、Collateral Beauty(直訳:付帯的な美しさ)を「幸せのおまけ」と訳した人、天才的です。
これは、病室の前で6歳の娘をまさに失いかけていたマデリンに対して隣に座っていた見知らぬ年配の女性がかけた一言ですね。
"Just be sure to notice the collateral beauty" - 幸せのおまけを見逃さないで
後に分かるのですが、娘を亡くす直前という究極な状況に立たされている母親に対して、迷いないこの言葉をかけたのがまさに「死」だったのです。
そしてマデリンは、辛く悲しい愛娘の死を経験したのちに、ふと自分がすべてのものと深いつながりを持っていること、これこそが娘の死によって手にした幸せのおまけだと気づきます。
マデリンに訪れた幸せのおまけは、まさに今ハワードが失っているすべてだったんですね。
マデリンの過去
マデリンの登場により、映画内では新しい軸でハワードの人生がまたひとつ動き出します。
「私の娘の名はオリビア。あなたの娘さんのお名前は?」マデリンの質問に固まるハワード。
ハワードはどうしても自分の娘の名前を言葉にすることができません。
娘を失った現実に向き合うことができないまま、また心を閉ざそうとしてしまいます。
子どもを亡くして離婚する夫婦は79%いると映画内で言われています。
そして、ハワードもマデリンもその79%に入っていると。
ここで初めてハワードが離婚していることを私たち(=視聴者)は知るわけです。
マデリンは離婚成立の日、別れた夫からもらったという次の手紙を差し出します。
そこにはこう記してありました。
"If only we could be strangers again" - もしもまた他人に戻れたら。
究極を感じました。
人は、あまりにショッキングすぎる経験を共にしてしまうと、もう前の関係には戻れなくなってしまうものです。
私も突然の事故で家族を亡くしたとき、良い悪いではなく、同じ苦しみを共有していた人たちとの関係の在り方が大きく変わる経験をしたので、この究極はすっと心に染み込みました。
前の奥さんをまだ愛しているか?というマデリンの質問にハワードは言葉を濁らせますが、マデリンは言います。
私は夫をまだ愛している、と。
まだ見てない人はこの先を読み進めないでほしいのですが、この映画のクライマックスに驚きの展開が訪れます。
クライマックスに見る究極の愛
クリスマスイブの夜、ハワードは突然マデリンの家を訪れます。
ハワードがマデリンの家をゆっくりと見渡し、そんなハワードを見守るマデリン。
"I was watching a video I took of my daughter. She's dancing with her father in it. Can I show it to you, Howard?" - 娘のビデオを観ていたの。パパと踊っているビデオよ。あなたに観せてもいい?
マデリンは涙声でハワードに聞きますが、ハワードは首を横に振ります。
それでもマデリンは続けます。
"My daughter's name was Olivia. She died of a rare form of brain cancer known as Glioblastoma Multiforme or GBM for short. She was six years old. What was your daughter's name, Howard?" - 娘の名前はオリビア。脳腫瘍の中でも珍しい多形性膠芽腫、略してGBMで亡くなったの。6歳だったわ。…あなたの娘さんの名前を教えて。
でもやっぱりハワードは答えることができません。
そんなハワードにマデリンはひとつの手紙を渡します。
それは、離婚成立の日にマデリンが元夫からもらった例の手紙でした。
そしてマデリンは続けます。
"If only we could be strangers again... What was your daughter's name, Howard?" - もしもまた他人に戻れたら...。ハワード、あなたの娘さんの名前を教えて。
それでもハワードは言えません。
マデリンはそっとビデオを流します。
そこには、満面の笑顔をした愛娘と幸せそうに遊ぶハワードの姿が映し出されます。
そしてマデリンは諦めません。
"Howard, say her name" - ハワード、娘さんの名前を言って。
ようやくハワードが口を開きます。
"Olivia.... Her name is Olivia.." - オリビア。僕の娘の名前はオリビア。
もうここは本当にウィル・スミスの名演技でしたね。
唯一無二の理解者である妻の前で初めて娘の死を受け入れた瞬間です。
「もしもまた他人に戻れたら」これはハワードからマデリンに宛てた手紙。
そう、ハワードとマデリンは夫婦。オリビアは二人の愛娘だったんですね。
すべてが繋がったこの瞬間、涙腺崩壊した人は多いのではないでしょうか。
この映画はもう究極の夫婦愛の物語です。
なによりもマデリンのハワードに対する愛の深さに感服します。
ここでドミノが繋がる!
抱き合う二人の後ろで流れるオリビアの映像には続きがあります。
オリビアとハワードが楽しそうにドミノで遊んでいるのです。
ここで何を感じるかは人それぞれです。
私はこの映像に、普通の人間のように時間を惜しみ、死を恐れる、そして画面いっぱい愛であふれたハワードの姿を感じました。
倒れるドミノを死と例えるのなら、そんなドミノ倒しを愛娘と笑いながら最後まで見届けるかつてのハワードが、「死もまた人をつなげる要素」であることを伝えてにきているようでした。
あれ?擬人化された概念たちはどこいった?
ああ素敵な映画だった。
めでたしめでたし・・・とここで気づくのです。
擬人化された概念の存在をすっかり忘れていたことに。
確かに、それぞれの概念との不思議な会話がハワードをここまで動かすきっかけとなりました。
それらの擬人化された概念がハワードに与えるメッセージ性はもちろん素晴らしいのですが、そんなに強くはなかったかな・・・と。
ということで、このすべての展開を知ったうえでもう一度映画を見てみました。
そうすると先ほどもちょっと言及しましたが、ひとつひとつの言葉に込められたメッセージが素晴らしいことに気づき、より深く心に響きました。
だから、2度は観ることをおすすめします。
また、このあと言及しますが、この擬人化された概念は、ハワードというよりも、同僚たちに必要なものだったのかもしれません。
ハワードを信じ続けたマデリン
やっぱり私が心動かされるのはマデリンとのシーンです。
離婚成立の日にハワードからもらった手紙を、他人同士に戻っているハワードにマデリンが差し出す場面は、再度見ると本当に泣けてきます。
"If only we could be strangers again. Now we are." - もしもまた他人に戻れたら。そして今他人よ。
と、マデリンはハワードに向かって言います。
「子どもを亡くして奥さんも辛いのにこんな手紙を残して別れるなんてひどい・・・」といったレビューも多くありましたが、そのあとにマデリンが続けた言葉、ちゃんと英語で聞きましたか?
"The most romantic gesture he ever made."
このセリフ、日本語字幕では「珍しく手紙なんてくれた」と訳されています。
しかしこれを忠実に和訳すると(多少の意訳が入りますが)「これまでで一番ロマンチックなことを彼はしてくれたの」となります。
泣けませんか?
ハワードとの離婚は、二人の始まりを意味していることをマデリンは彼からの手紙で悟った。
だからハワードを信じ続けていたんだと思います。
だからこそこの手紙はマデリンにとって二人をつなぐ何よりも大切なもの。
いつでも大事に持ち歩いていたことが分かります。
これは日本語字幕ではなく原作の英語通り観ることで、より登場人物の深い感情に届くことができる一例だと私は思いました。
残る謎がまた味深い
そして最後になりますが、マデリンに"幸せのオマケ"と話した年配の女性が、後に「死」を演じることになる女優と一致した時点で「え!」という驚きがあり、概念を擬人化した俳優たちが本当に天使だったのではないか説が浮上します。
この説は、概念を擬人化した俳優たちが、仲良く散歩するハワードとマデリンを橋の上から見守るラストのシーンでさらに濃厚になります。
そうなるとこの映画の深さがまたぐっと増します。
3つの擬人化された概念を演じる俳優たちが本当の天使だったとしたら、彼らはハワードのためじゃなくまさに同僚3人のための天使だったと納得できます。
そして天使の指導者、愛娘のオリビアは知っていたのでしょう、ハワードは最愛の妻マデリンと共に立ち直れることを。
きっとこれは、オリビアの死が、関わる全てのひとにクリスマスプレゼントを渡しに来てくれた。
そんな、聖なる夜の心温まる物語だったのかもしれません。
ここで注目したいのが映画の邦題である「素晴らしきかな、人生。」
内容と邦題が一致しない!!という不満の声が多いですが、ご存知の通り、これは1946年のアメリカ映画「素晴らしき哉、人生!」と掛けられているんですね。
実際にアメリカのサイトでも「ウィル・スミスが”素晴らしき哉、人生!"に新たな息を吹き込む」とされた記事が出てきます。この映画では実際に天使が出てきますよね。
素晴らしき哉、人生!と併せて観るとより面白くなりそうですね。
English lesson
自分らしく訳してみてください♪黄色のマーカーがポイントとなる語句です。
*解説が不要ですぐに問題に挑戦したい方は問題一覧を見るへお進みください。
Lesson 1 難易度:★★★☆☆
Question
This is our lives at stake.
背景:会社を存続させる必要性をホイットが唱える場面でホイットが発した言葉です。
Answer
正解は、私たちの人生が危うい、言い換えると、僕たちの人生(生活)がかかっているです。
at stakeには危うくなる、問題になるという意味があります。at riskとほぼ似た使い方ができます。ちなみにこのlivesはlife(=生活)の複数形。よって発音はlάɪvzとなります。※単語のリンクに飛ぶと英語の発音が聞けますよ。
ちなみにこのat stake。映画中何度か出てきますよ。自然に使える表現ですね!
Challenge それではここからが上級編!!英語が得意な方に質問です!
at stake と at risk あなたはどう使い分ける?
こちらアメリカに住むネイティブの友人に尋ねてみました。彼の回答はコチラ!
Lesson 2 難易度:★☆☆☆☆
Question
I wanted to text you, but Mom said I had to call. But then Barry said I had to tell you in person.
背景:これはホイットの娘さんが、ホイットにクリスマスの約束をキャンセルすることを伝えるシーンでの娘さんの発するセリフです。
これは人とのコミュニケーションを取る手段を表す言い方です。よく使うので知らなかったら覚えてしまいましょう。
Answer
正解は(携帯で)メールを送りたかったんだけど、ママは電話で言えっていうし、でもバリーは直接会って話せっていうし…でした。
textは(携帯から)メッセージを送る、callは電話をかける、in personは直接会っている状態を意味します。ちなみに、電子メールでメッセージを送る時にはemailを使います。(例文:I will email you later! - あとでメールを送るね!)
Exercise それでは応用問題にも挑戦してみましょう。直接会っている状況を表す in person を使った映画内のでの別のセリフです。
Lesson 3 難易度:★★★★☆
Question 今回は日本語から英語にしてみましょう。
殻を脱いで、人生を変えよう!
背景:これは「愛」の概念を演じるエイミーが、オーディション前に何度も唱えて練習するある船旅会社のキャッチコピーです。キャッチコピーなので普段の会話とは少し違うかもしれません。こんなスローガンを英語にする必要があるとき、あなたならどう英訳しますか?
ところで検索してみると「"殻をやぶる(=殻を脱ぐ)"は英語で何と言いますか?」そんな質問をネット上でする人が多くいました。みんな殻を破りたいみたいです(笑)
break out of one's shell という表現が回答としては多いように感じます。break out of ~は ~から抜け出す、脱出する(break自体は壊す、破壊するという意味がありますから、破り出てくるといった勢いがありますね)。shellはご存知シェル、殻ですよね。
ということは、Break out of your shell, and Change your life で意味は十分通じるでしょうか。それとも、もっとオシャレな言い回し思いつきました?
Answer
では映画で言われている正解は・・・Shed your skin, Find your lifeでした。一味も二味も違いませんか?すごくすっきりして伝わりやすい。心に響く!きれいに韻を踏んでてキャッチコピーらしいですね。
shedにはもともと流す、こぼすといった意味があります。そしてshed it's skin(肌を脱ぐ)で脱皮するという意味になるんです。え?なんで流すとかこぼすが脱ぐになっちゃうの?それはリンク先にも解説がある通り、動植物が肌(皮や毛、羽)などを自然にこぼす(流す、落とす)だから=脱皮 となるんです。
人生を変えようをfind your lifeと訳すのも素敵です。きっと今の人生に不満や物足りなさを覚える人たちにむけて発するキャッチコピーですよね。change(=変えよう)ではなくて find(=見つけよう)と表現することで、今を否定されないですし、より大いなる可能性を感じてわくわくしてきますね!船旅会社のキャッチにはぴったりです。
Lesson 4 難易度:★★☆☆☆
Question
Sure sure! I mean, to a degree.
背景:俳優たちと設定を考えているシーン。ホイットがあまりに見切り発車な発言をするので、Have you though this through? - ちゃんと考えたわけ? と俳優さんに聞き返されてしまったときのホイットの答え。
Answer
字幕では「もちろん!」と意訳され終わっていますが、ニュアンスとしては、もちろん!…まあ、ある程度はねといった最後自信の無さを少し含ませている感じです。
degreeには、程度や度合いという意味があります。また、どの程度の地位にいるのかということから学位もdegreeで表します。(例:博士号はdoctor's degreeと言います)
このシーンでのto a degreeは、イメージとしては to a (certain) degree とcertain(ある一定の、いくらか、いくつか)が省略されています、多分・・。よって、ある一定のいくらかの度合いまでというニュアンスになります。
Exercise それでは応用問題にも挑戦してみましょう。certain以外の形容詞を入れてあらゆる程度を表現してみましょう。
かなり大いに:to a large degree
ある限られた程度まで:to a limited degree
著しいまでに: to a marked degree
驚くほどに: to a surprisingly degree
Lesson 5 難易度:★★☆☆☆
Question
He is calling me out!
背景:「時間」を"petrified wood and dead tissue (化石化した木や死細胞)"であると酷く罵るハワードに対して、「時間」の概念を演じるラフィが腹立てて言ったセリフ。
Answer
彼は僕を挑発している!!
callだけなら呼ぶ、電話をかける、とか簡単なのに…この out とか off とか upon とか…副詞の使い方ってどうしても難しいですよね。
副詞とは、名詞以外を飾り付けて、文章に「時、場所、状態」などを意味付けるものです。(名詞を飾り付けるものを形容詞と呼びます。)
ここでは、call(呼ぶ、呼びかける)という動詞をoutという副詞によってその状態を飾り付けています。
outがもつ基本的な意味・イメージは「外」です。
よってcall outとすると、外に呼び出す、出動させるという意味合いを加えることができます。場面によって解釈は変わるのですが、outは外に発散させるようなイメージを伴いますのでcallと併せて用いることで大きな声で叫ぶだったり、喧嘩の時につかうと、挑発する、喧嘩を売っている、挑戦しにきているという意味にもなります。ここでは、挑発している!と訳すのが腑に落ちますね。
こういった副詞が使えるようになると、簡単な動詞でも表現のバリュエーションが増えて会話が豊かになりますね。
Lesson 6 難易度:★★★☆☆
Question
That's pretty much not in the cards.
背景:年齢というタイムリミットから出産のタイミングを気にしていたクレアに対して、「時間」の概念を演じるラフィが、you gonna make a good mom one day. - いつか君はいい母親になるよ 伝えたときにクレアが返したセリフ。
Answer
それはあり得そうにないわ。
in the cardsには起こりうる、あり得るという意味があります。ではなぜcards -カードを使った表現となるのでしょうか?
これは未来を占う(タロットなどの)占いカードにその由来があります。ひいたカードにあなたの未来の暗示があると思ってください。例えば、あなたが今の彼と結婚するかどうか知りたいとき、ひいたカードに結婚の暗示が無かった(Not in the cards)=運命じゃない=起こりえない となるわけです。
こんな表現をさらっとネイティブとの会話の中で使ってみたいですね。
Lesson 7 難易度:★★☆☆☆
Question
There was this dust dealer up on 187th who gave me "Brand New World".
背景:これも「時間」の概念を演じるラフィが、Not in the cardsと答えたクレアにさらに返したセリフの冒頭です。
この問題は完全に私の趣味です(笑)こういう細かいのが好きなんですよね。up on 187thが訳せるかという問題なので、this dust dealer=薬の売人、"Brand New World"=素晴らしき新世界(本の題名) と訳して頂いて結構です。
Answer
細かすぎて日本語吹き替えでも日本語字幕でも完全無視されているのですが、正確に訳すなら、
187番街にいる薬の売人が僕に「素晴らしき新世界」をくれたんだ。
となります。up on + 序数 で番地を表すことができるんですね。こういった前置詞もなかなか使いこなすのが難しいですが、たまたま映画で出てきたものを覚えていくうちに自然と引き出しが増えていくので焦らないでいきましょう。
Lesson 8 難易度:★★★★☆
Question
次は英訳してみましょう。
時間も忘れて読んだよ。
背景:薬の売人からもらった「素晴らしき新世界」を時間も忘れて読んだ、というラフィ。あなたならどう英語で表現しますか?正解はたくさんありますが、ここではせっかくなのでThe bookを主語にして考えてみてください。私には思いつかない表現で素敵だな~と思いました。
ヒント:その本は時間を秒に変えてしまった(それくらいに夢中になった!)という言い回しです。
Answer
映画の中でされている表現は、The book turned hours into seconds.
どうですか?素敵な表現ですよね!turn A into B で、AをBに変えるという意味になりますよね。つまり直訳すると、その本は、hours(=時間) を seconds(=秒)に変えてしまった!=それほど夢中になった!となります。
さらっとこんな英語を使いたいです。この言い回しを使うために敢えて会話を誘導したいくらいです。
他にも素敵な言葉がたくさん詰まった映画なので、まだ観てない方はぜひ一度観てくださいね!
<問題一覧>
1. This is our lives at stake.
2. I wanted to text you, but Mom said I had to call. But then Barry said I had to tell you in person.
2-2. What if Love, Time and Death show up in person and answer the letters?
3. 殻を脱いで、人生を変えよう!
4. Sure sure! I mean, to a degree.
5. He is calling me out!
6. That's pretty much not in the cards.
7. There was this dust dealer up on 187th who gave me "Brand New World".
8. 時間も忘れて読んだよ。<American Friends giving us "tips">
<American Friends giving us "tips">
では、Lesson1で学びました、at stakeと at risk どちらも危機的状況にあるという意味がありますが、よくある以下の例文をもとに、どう使い分けるのか?をネイティブに質問してみました。
- "Your life is at stake." or "Your life is at risk." -生活がかかっている
- "My reputation is at stake." or "My reputation is at risk. -私の評判がかかっている
英語が得意な方はぜひ彼の回答を英文のままお読みください。ニュアンスのわずかな違いをとても詳しく教えてくれています。
結論からいうと、どちらでもOK!ほとんど同義語と言ってもいいレベルです。でもわずかな違いを説明すると、at stakeのほうが危機度が強い。
例えば、私の評判がかかっているという例文をとって説明すると、at stakeを使うと評判がすっかりと破壊されて跡かたなく失ってしまう(もう取り戻せない)様。一方で、at riskを使うとある一定の危機にさらされていることは確かであるけれども完全に失うまでには至らない(かもしれないという可能性が残っている)様。
と簡潔にまとめてしまいましたが、彼のメールではpokerを例にとって2つのわずかに異なるニュアンスを理解するkeyがありますので是非読んでみてください。
His answer:
In that particular context, those two words are extremely similar in meaning. Neither one sounds weird to me, but I think using "stake" would be more common in both examples.
The only difference between them is very subtle, and that is that when your life or your reputation is at stake, that implies that the entire thing could be lost, destroyed, etc. However, when your life or your reputation is at risk, that implies that some degree of harm or danger could come to your life or reputation, but it may or may not be completely lost or destroyed.
In other words, if I say, "My reputation is at stake," that's like saying, "My entire reputation could be completely lost, never to be recovered again." However, if I say, "My reputation is at risk," that's like saying, "My reputation could be negatively affected in some way," or "Some degree of harm could come to my reputation." Does that make sense?
Anyway, as I said, this is a very subtle difference, and you could usually use either one in most cases. If you want it to be more dramatic and show that the entire thing could be lost or destroyed (which is usually the case when you say something like this), then use "stake."
I was thinking about that subtle difference a little more, and I had a thought that might help you distinguish between the two. "At stake" means 'up for grabs' or 'available to be taken away'. If we think about it in a literal sense, "stake" is essentially a gambling term. When you play poker, for example, the money that you wager is at stake, which means that it is kind of like the prize that everyone is trying to take. So, if you apply this to a life or reputation, the idea is that your entire life or your entire reputation has been put into play as something of value that can be completely taken away from you if you lose. "At risk" means 'vulnerable' or 'exposed to danger'. So, when something is at risk, that just means it's vulnerable, exposed, or open to attack. If you apply this to a life or reputation, then it means that you are vulnerable or exposed in some way that leaves your life or reputation open to attack. You have no defense and thus can suffer negative consequences in your life or reputation.